2008年12月4日木曜日

12/4 Today リシュリューが死ぬ(1642)

リシュリュー - Wikipedia: "枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシ(Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585年9月9日 - 1642年12月4日) は、カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた。"

われらがダルタニアンの天敵でもあった人物。


人物像は:
ブルボン朝の発展と繁栄のために大きく尽力し、近代フランスの礎を築いた大政治家であった。冷徹なマキャヴェリストであった反面、まれにみる無私の人でもあり為政者としての広い度量をかねそなえてもいた。

彼の信念は「王権の拡大」と「盛大への意思」、すなわちフランスはあらゆる他国を押さえて強大にならねばならないとの確信であり、この彼の信条に従わない者に対しては全てこれを「国家の敵」とみなして徹底的に撲滅をはかった。「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」という彼の言葉からもわかるように、他者を罰することは彼の生き甲斐でもあった。

リシュリューの臨終の席で、聴罪司祭が「汝は汝の敵を愛しますか」と問うと彼は「私には国家の敵より他に敵はなかった」と答えたという。彼の人生がしのばれるエピソードである。

デュマ作の小説『三銃士』にも登場し、王妃や三銃士と対立して策謀を巡らす悪役としての側面と、フランスの発展に尽力する優れた政治家としての側面という両面から描かれている。

『三銃士』ではたしかに悪役。でも、国家の敵(イギリスの貴族)と不倫する王妃さまとそれに仕える三銃士の方が、本当は悪い。

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